「戦車」カテゴリーアーカイブ

武器学校4・・・三式中戦車 チヌ

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久々の武器学校シリーズ。今日は三式中戦車 「チヌ」。最初の印象は、「思ったより作りが悪い」こと。

それから鉄板が薄い部分があって、結構さっくり作ってるんだなあ・・・と感じたり、多分戦車は割れちゃダメだと思うんだけど、割れてたりして、最初の印象の、「思ったより作りが悪い」という所を補強している。

そうかと思えば、丁寧にワイヤリングしてたり、ボルトの頭がちゃんと被弾形状になっていたりと手抜きばっかりじゃないところもあり、ちょっと不思議な感じ。

その他の発見は、ゴム製品がヨコハマゴム製だったということ

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フェンダーの部分は薄くて、上に乗ったら凹みそう。

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あちこちヒビだらけ。

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武器学校3・・・四年式15糎榴弾砲

四年式15糎榴弾砲

戦車も武器もまったくのドシロウトで何も知らないのですが、勉強のために霞ヶ浦の武器学校に行ったので載せておきます。

大砲というと、僕にとってはまったく宇宙のシロモノ・・・撮ったは撮ったけど、なんと筒先がちょこっと写っていただけでした。

お詫びに解説文を打ち込んでおきます。

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ウィキペデイアに写真があった!Type 4 150 mm Howitzer

 

四年式15糎榴弾砲の解説

 軍事の進歩と技術の変遷は、野戦において使用する重宝に大きな射程と広射界射撃、さらに十分な運動性を要求するようになったが、日本では明治42年頃に、それまで使用していたクルップ社の38式15糎榴弾砲の火力不足が顕著になってきた。馬による牽引砲としては重量が重すぎることや、日本人の体力で簡単に操作できる必要性もあり、当時流行してきた砲身と砲架を分解して運搬する火砲が研究され始めた。

 陸軍技術審査部では緒方少佐(後に大将)を研究主任者として設計を開始し、甲号・乙号の2種の15cm榴弾砲を試作した。甲・乙号火砲はさらに数度の試験を繰り返し、その短所を捨て長所を採用した結果、明治44年6月に丙号砲が作成された。

 丙号砲はこの後も試験を行われ「試製15糎榴弾砲」と呼称され、明治42年2月に陸軍技術審査部において、重砲兵材料として採用され、若干の修正を加えられた後に4門編成の中隊戦砲隊によって研究を行い、砲の運用や火力等の性能が認められた場合は制式化されることとなった。

 この陸軍審査部の決定により大将ねん11月に4門が製造され、大正3年8月までの間、伊良湖射場における火砲の抗堪試験や静岡県の坂妻や箱根などでの行軍戦闘演習等が行われた。

 このように各種の15cmクラス榴弾砲は試作され試験が行われたが、試製後6年を経て、運搬のときは砲身をはずして車輪と車軸だけの簡単な車の上に載せて砲身車として、それぞれ馬6頭で牽引する新15糎榴弾砲が完成、4年式15糎榴弾砲として制定された。

諸元

口径 149.1mm
砲身長 219cm
砲身重量 885kg
閉鎖機様式 垂直鎖栓半自動式
砲架形式 単脚、砲身砲架分解式
駐退復座機様式 水圧、空気、遊動活塞式
後座長 900〜1300mm
重量 2800kg
方向射界 左右各3度
高低射界 -5〜+65度
初速 398.9m/秒
最大射程 8800m

大洗。痛車コンテストその4

痛車コンテストその4

去年の11月18日、アンコウまつりの日に大洗の町中で行われた「痛車コンテスト」を見に行ったその4です。

僕はこれらのできばえや背景を語る言葉を持ち合わせていないので、とにかく写真だけを並べ気味に進めます。

oarai_itasya_contest4-20すごくいい感じだったのでシャッターを切りました。バス停の地名もふりがながなければ読めません。「髭釜」と書いて「ひいがま」あんこうさんのジャンバーもGOOD!

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こういうところ好きです。

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この店の前は常にごった返していました。

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日が傾いて帰る人たち。

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無茶苦茶ひなびた感じのお店。

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この色あせた感じ・・・どんな方がお店をやっているのだろう・・・いいなあ。

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武器学校2

105mmりゅう弾砲M2A1

戦車も武器もまったくのドシロウトで何も知らないのですが、勉強のために霞ヶ浦の武器学校に行ったので載せておきます。

もしかしたら隣の155mmりゅう弾砲M1と混ざっちゃってるかもしれませんが、笑って許して下さい。

キャプションを付けるほどの知識もないので、ほぼ無言で写真を並べます。

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こちらも砲身はビッチリ詰め物してあります。

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105mmりゅう弾砲M2A1(供与品)

重量 2.3t

砲身長 2,360mm

給弾方式 手動/単発

発射速度 100発/時(持続)

装備期間 1952〜1999年

10H(りゅう)と呼ばれ師団で使用されていたが、現在は国賓等に対する礼砲用として使用されている。

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こんな形です。

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防衛庁 155粍榴弾砲架 M1A2-試
製造所 日本製鋼所

整備記録 第五段階外注整備 昭和47年11月
石川島播磨重工業株式会社

あらーーーー! 隣の155mmと混ざっちゃった。155ミリりゅう弾砲の砲架でした。

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これも155粍云々とあります。これも155mmのものでした。ゴメンナサイ。

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武器学校1

155mmりゅう弾砲M1

戦車も武器もまったくのドシロウトで何も知らないのですが、勉強のために霞ヶ浦の武器学校に行ったので載せておきます。

もしかしたら隣の105mmりゅう弾砲M2A1と混ざっちゃってるかもしれませんが、笑って許して下さい。

キャプションを付けるほどの知識もないので、ほぼ無言で写真を並べます。

155mm-m1-27155mmりゅう弾砲M1(供与品)

重量 5.7t

砲身長 7,200mm

給弾方式 手動/単発

発射速度 40発/時(持続)

装備期間 1952〜2000年

15H(りゅう)と呼ばれ現役時代は師団が保有する最強の火砲として活躍した。

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作りの参考に・・・

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砲身埋めちゃってます。

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