四年式15糎榴弾砲
戦車も武器もまったくのドシロウトで何も知らないのですが、勉強のために霞ヶ浦の武器学校に行ったので載せておきます。
大砲というと、僕にとってはまったく宇宙のシロモノ・・・撮ったは撮ったけど、なんと筒先がちょこっと写っていただけでした。
お詫びに解説文を打ち込んでおきます。
ウィキペデイアに写真があった!
四年式15糎榴弾砲の解説
軍事の進歩と技術の変遷は、野戦において使用する重宝に大きな射程と広射界射撃、さらに十分な運動性を要求するようになったが、日本では明治42年頃に、それまで使用していたクルップ社の38式15糎榴弾砲の火力不足が顕著になってきた。馬による牽引砲としては重量が重すぎることや、日本人の体力で簡単に操作できる必要性もあり、当時流行してきた砲身と砲架を分解して運搬する火砲が研究され始めた。
陸軍技術審査部では緒方少佐(後に大将)を研究主任者として設計を開始し、甲号・乙号の2種の15cm榴弾砲を試作した。甲・乙号火砲はさらに数度の試験を繰り返し、その短所を捨て長所を採用した結果、明治44年6月に丙号砲が作成された。
丙号砲はこの後も試験を行われ「試製15糎榴弾砲」と呼称され、明治42年2月に陸軍技術審査部において、重砲兵材料として採用され、若干の修正を加えられた後に4門編成の中隊戦砲隊によって研究を行い、砲の運用や火力等の性能が認められた場合は制式化されることとなった。
この陸軍審査部の決定により大将ねん11月に4門が製造され、大正3年8月までの間、伊良湖射場における火砲の抗堪試験や静岡県の坂妻や箱根などでの行軍戦闘演習等が行われた。
このように各種の15cmクラス榴弾砲は試作され試験が行われたが、試製後6年を経て、運搬のときは砲身をはずして車輪と車軸だけの簡単な車の上に載せて砲身車として、それぞれ馬6頭で牽引する新15糎榴弾砲が完成、4年式15糎榴弾砲として制定された。
諸元
口径 149.1mm
砲身長 219cm
砲身重量 885kg
閉鎖機様式 垂直鎖栓半自動式
砲架形式 単脚、砲身砲架分解式
駐退復座機様式 水圧、空気、遊動活塞式
後座長 900〜1300mm
重量 2800kg
方向射界 左右各3度
高低射界 -5〜+65度
初速 398.9m/秒
最大射程 8800m